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ダスキンりんご新聞


株式会社アップル
代表取締役

■松村 勝美

 

アップルりんご新聞第6号

私が、18才の時、大学浪人になり、
それでも東京に憧れ上京し、
北区の東十条に3畳一間を借りて住んでいた頃、
3か月分の授業料をやっと工面して予備校へ通っていました。

予備校の帰りはバイトで帰るのは24時を回っていました。
23時30分〜24時30分まで文化放送で
旺文社のラジオ講座をやっていました。

それをタイマー録音して帰宅後によく聞いたものでした。
井上陽水のLP(アルバム)をヘッドフォーンでよく聞きました。

私と陽水とは年齢的にもあまり変わらないのですが、
彼はメジャー、私は、浪人でフリーターこの勝者敗者の差が
惨めで、悔しかった事を今でも鮮明に覚えています。

この頃、アパートのすぐ近くに『渡る世間は鬼ばかり』の
『幸楽』のようなりっぱな中華料理屋ではないのですが、
同じような食堂があり、そこへよく食べに行ったものでした。

その食堂の名前は忘れましたが、
田舎から上京し東京で結婚した若夫婦が二人だけでやっていました。

子供を創ると奥さんが、 仕事が出来なくなってしまうので
子供は欲しいがまだダメだと言っていました。

その後、私は、飲食店を企画、立案、出店、立ち上げを手助けする
今で言うコンサルタントの仕事を続けながら大学へ進学したため
世田谷へ引っ越しました。

奇遇な事に2番目の子供が同じ大学ではないのですが
近くの大学に進学しました。

その町並みも雰囲気も当時と変わらず、 わくわくするものを感じました。
今思えば、家族で助け合って生きていく最初の核を
東十条のあの店から学んだように思えます。

代々続いた農業、家業を継承するのも大変です。
マスコミは貧富の差がうんぬんとか言いますが、
一からスタートして自分の夢を適えるチャンスが
ゴロゴロしている日本はすばらしい国だと改めて思う今日この頃です。




 

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